今日は、古屋商店が今までどの様にして今来たかを自分なりに振りかえってみました。
思い出すといっても私がすべてを知っているわけではないので
過去に両親に聞いた話や写真などを見ながら自分なりに考えてみました。
そん事をしているうちに、ふとあること気がつきました。
みなさんにとっては当たり前のことかもしれませんが私には今更ながらの驚きでした。
それは次のようなことを考えた事からはじまりました。
結果を見れば今まで、どんな形にしろ当社もここまで商売をさせてもらって存在するわけです。
その間には、その場面、場面で色々な選択の中から判断をしてきたはずです。
その判断の結果が今です。
自分のことに置き換えた時
その判断を自らが選んでして来たと明確に意志をもってした判断もあれば
不本意なながら、しかたなく、やむおえずといったこともあった思います。
人は誰しも、一つの気持ちだけで「絶対にこっちがいいにきまっている」なんて思うことは殆ど、ないと思います。
結果が見えないものに対しておそらく、こちらの方がいい結果が得られるだろうなどと何となく信じて決めているような気がします。
私の父もサラリーマンから創業してお店を持ちましたが
その時の判断がこうすれば上手くいくにきまってるというよりは
自分の願望、思いがそのようにさせたのだと思います。
それは、生前一度だけ「なぜ、創業したのか」を聞いた時のこと
子どもの頃、貧乏で買いたいものも買うことが出来きなかったので早く仕事をして沢山稼ぎたいと思ったのが創業のきっけだと聞いたことがあります。
結果を見れば創業してから50年間、古屋商店ありますが
創業をしなければ今はありません。
その間、多くの選択の中から結果を選び取ったわけです。
選択肢はいくつかあっても、その中で選べるのは一つだけであることを今更ながらに気がつきました。
そういえば今夜は、私が好きな大河ドラマ『花燃ゆ』を見たいと思います。
吉田松陰が処刑される「松蔭 最後の言葉」です。
歴史に名を残した人は多くいますが
わずか29歳でこの世を去り
多く人に影響を及ぼした人物はそうはいまいと思います。
現代の私たちには想像もつかに人だったのではないでしょうか。
過去の人物に会うことは出来ませんが
その残した記録やエピソードなどから
私も含め今の29歳の青年とは比べものにならないくらい成熟した大人だといえます。
よく昔の人は平均寿命が短かかったから、その分大人だったなんて言葉を聞くことがありますが
29歳になるまでの与えられた時間は、今も昔も同じ時間です。
だとすれば、その時間の使い方、密度の濃さがその人をつくりあげたのではないかと最近は思います。
何かにかけて、命を懸けてもかまわない思えるほどの思いが当時の人達の中にあったのかもしれまいと思います。
吉田松陰を処刑したとされる井伊直弼にしても、自らが死ぬことを覚悟していたようです。
その井伊直弼も吉田松陰の処刑わずか一年後に斬殺されています。
吉田松陰の言葉に次のような言葉があります。
「至誠にして動かざる者は未だ之れあらざるなり。
誠ならずして未だ能(よ)く動かす者はあらざるなり」
誠意を尽くして事にあたれば、
どのようなものでも必ず動かすことができる。
逆に不誠実な態度で事にあたれば、
何ものをも動かすことは決してできない。
歴史という結果を見れば、吉田松陰の言葉と死が
その後の歴史に影響を及ぼしたことになります。
わずか150年前の出来事です。
今の私たちの生活があるのも先人のお陰です。
過去の4月26日のブログ
『気を使って頂きありがとうございます。(カーポート)』(2014.4.26)
■ 今日の言葉
『道は一つ』
夫(そ)れ道は一(いつ)のみ。
【訳】
そもそも道というものは一つである。
(堯や舜のような聖人の道も我々凡人のそれも一つである。
善なる本性のままに、それをおし広めてさえいけば、
誰でも聖人となれる)
◆吉田松陰が選んだ「孟子」の言葉
『「孟子」一日一言』(川口雅昭・編)
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おかげさまで、創業50年
(有)古屋商店
甲府市朝気1-2-66
055-237-0704
営業時間9:00~17:00
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