『色々な視点(挑戦する)』(2014.4.30)

妻は、子どもに絵を描かせて、色々なところへ応募するのが好きなようです。

それが、たまたま入選したりして、子どもたちもやる気になっています。

ただ、目に付くものは手当りしだいのような感じなのでそんな妻を見て、思わず

『色々なところへ応募して、まるで投稿マニュアだね。』と言うと

予想もしない言葉が返ってきました。

『違うよ。人助けだよ。応募する人がいないと募集している人もこまるから』

なんて言ってました。

先日など、一年くらい前に娘が応募した絵が返してもらえることになっていましたが

いまだに手元に届かないことを思い出し

『私のウサギの絵どうしてもどってこないのかな・・・。』

なんて言ってました。

するとすかさず

『絵が上手過ぎて、うさぎがピョン、ピョンはねていったんじゃない。』

なんて、慰めともいえない見事な切り返しで答えていました。

子どもにその答えでいいのか疑問・・・?

私の思考回路にはない回答を、次々と繰り出すその言葉にもはや脱帽です。

 

 

今までのブログで紹介した子どもの絵のことです。

https://furuya-gas.com/?p=5198

https://furuya-gas.com/?p=4773

https://furuya-gas.com/?p=4653

 

 

■ 今日の言葉 『宮沢賢治の美徳をはぐくんだ言葉』

 

宮沢賢治の母である“いち”は、  1877年岩手県花巻市に生まれ、

1893年に賢治の父・宮沢政次郎と結婚します。

いちはとても優しく気品があって  立派な女性でした。

賢治は、いつでも心にゆとりをもち、

明るい笑顔で人に接する母のことが大好きでした。

思慮深い子どもだった賢治ですが、  彼の最も優れた美徳は

母親譲りの限りない優しさであった  といわれています。

ある日、学校で一人の生徒が赤いシャツを着て

皆からはやしたてられていました。  それを見かねた賢治は

「自分も今度赤いシャツを着てくるから  彼をそんなにいじめないでくれ」

と訴えて、皆を黙らせたそうです。

また、道路で友達と遊んでいるとき、

友人の一人が荷馬車の轍で  指先を怪我してしまいました。

それを見た賢治は友人の傷口を自分の口につけ、

指から出る血を吸ってやったのでした。

このように優しい心を持っていた賢治ですが、

その根っこには毎晩寝る前に

言い聞かされていたという母の教えがありました。

いちが何度も彼に繰り返した言葉は  このようなものでした。

「ひとというものは、  ひとのために、

何かしてあげるために生まれてきたのです。」

この言葉は時代を超えて、  いまも生き続けるものです。

この母あっての心優しい賢治だと

頷ける言葉ではないでしょうか。

このようにして彼は利他の精神に基づく

独自の価値観を築き上げていったのです。

 

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