昨日は、このブログでも紹介をさせていただいた講演会を小学3年生の長女と聴きに伺いました。
その講演のテーマは『特攻の真実と平和』でした。
なぜ、私がこの講演会に参加したのか
理由は2つあります。
長女が戦争に興味があること
詳しくはブログの『歴史を知る (我が家のこと)』 2014.10.16
に書かせていただきました。
もう1つは、私自身が歴史の真実を知りたいと思ったからです。
真実を知るにはやはり、その時に現場にいて体験した人の話が一番だと思いました。
そして命を犠牲にしてまで、特攻隊に参加した人の気持ちを知りたかったからです。
例えば、自分の仕事に置き換えてみると、どこかの現場でトラブルあった場合に
その現場の人ではなく別の人から話を聞いた場合と
直接、その現場にいた人から話を聞くのでは、大きく内容が違うことがあります。
そんな経験から、特攻隊員として戦争に参加された方にその時の思いや状況を直接聴きたいと思いました。
なぜそのように知りたいと思うのか、それはある方の言葉がきっかけでした。
『自国の歴史を忘れた民族は滅びる』
自分の国の歴史を知らない民族は滅びるそうです。
なぜなら、今ここに自分自身が存在しているのは、過去の色々な出来事があり
そのお陰で今の自分があるという意識をもたせてくれるのが自国の歴史だからです。
歴史をわかろうとしないことは、自分のルーツ(物事の根元・起源)を知らないことで
自らの存在意義をわかろうとしないのは、存在する意味が見出せなくなるからだそうです。
その為、先のこと子孫のことも考えずにその場しのぎ、その時だけがよければよいと考える人間が育ちます。
そのようにならないためにも、歴史を知る大切さをその方は説かれていました。
そんなわけで、娘と2人で特攻隊員であった坂津 忠正さんの話を聴きいてきました。
坂津さんは、現在89歳で来年の1月には90歳になられるそうです。
ご高齢の為、耳が遠くなられていまいしたが、私が知る89歳の方に比べればしっかりとお話もでき、体も健康のようでした。
週に3回はテニスをされるそうです。
話の内容は
当時の戦争に参加した青年たちの気持ちについて
陸軍少年飛行兵の話をして下さいまいました。
そこに当時応募した青年は1万人その中で合格となるのが120名と非常に高倍率であったそうです。
【*陸軍少年飛行兵とは】
《1933年(昭和8年)度より採用され、応募者資格は、操縦生徒は満17歳以上19歳未満、技術生徒は満15歳以上満18歳未満で
いずれも高倍率のなか試験を通し所要人員が採らました。
海軍にも同様に海軍飛行予科練習生(かいぐんひこうよかれんしゅうせい)があったようです。》
坂津さんは身長が156cmしかなく、身体的にそこに応募することもが出来きなかったため民間のパイロットになりそれから陸軍に入りました。
陸軍で、特攻隊の志願を募ると全員が手を上げたそうです。
その為、成績の良い順位に特攻隊に参加できるよになっていました。
坂津さんは
『いまのみなさんがい思っているような、無理やりに出撃させられたなどと言う事はなく、みなさん自分から希望して参加しました。』
坂津さんは成績が良かったようで、特攻に参加できることになりましたが
乗った戦闘機の故障で不時着その後は悪天候の為、出撃ができず戦局の悪化で特攻は中止され、その後終戦を迎えられたそうです。
『結局、私は生き残ってしまった』と仰いました。
特攻隊の生き残りの方は、誰しも自分自身が
生き残ってしまったことへの罪悪感がり、あまりそのことを語りたがらないようです。
また、人によっては罪の意識からか終戦後に自害された人もいました。
『私は、死ぬことも出来ませんでした。』とも言われていました。
坂津さんは戦後、特攻隊員全員の写真を集める為
自分の退職金を遣い、23年間かけて全国を回られたそうです。
そして全ての特攻隊員の写真を集められました。
それを許してくれた妻には感謝しているとも仰いました。
そして、その資料が元となり
知覧特攻平和会館 初代館長 となられました。
【*知覧特攻平和会館とは】
第二次世界大戦末期の沖縄戦において特攻という人類史上類のない作戦で、
爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示しています。
私たちは、特攻隊員や各地の戦場で戦死された多くの特攻隊員のご遺徳を静かに回顧しながら、
再び戦闘機に爆弾を装着し敵の艦船に体当たりをするという命の尊さ・尊厳を無視した戦法は絶対とってはならない、
また、このような悲劇を生み出す戦争も起こしてはならないという情念で、貴重な遺品や資料をご遺族の方々のご理解ご協力と、関係者の方々のご尽力によって展示しています。
特攻隊員達が二度と帰ることのない「必死」の出撃に臨んで念じたことは、再びこの国に平和と繁栄が甦ることであったろうと思います。
この地が出撃基地であったことから、特攻戦死された隊員の当時の真の姿、遺品、記録を後世に残し、
恒久の平和を祈念することが基地住民の責務であろうと信じ、ここに知覧特攻平和会館を建設した次第であります。
今の私たちには想像しがたい色々な思いが
当時の人達にあったことを少しでも垣間見ることの出来る時間でした。
戦争を知らない私たちが、勝手な想像な思い込みで考えるより
実際に、遺書などが展示してある知覧特攻平和会館に行ってみたいと思いました。
1 右の写真の犬を抱いている方は当時最年少の17歳で戦死されたそうです。
2 今のみなさんには理解しがたいでしょうが、みんな笑顔で出撃したそうです。
■ 今日の言葉 『肝心なのは「今」』
あすがある
あさってがある
と考えている間は
なんにもありはしない
かんじんの 「今」さえないんだから
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東井義雄(教育者)
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