『答えはひとつじゃない(自分なりの感覚)』(2014.3.3)

2014-03-03

今日は3月3日「桃の節句」ひな祭りです。

ひな祭りは古代中国から伝わったもので、我が子のすこやかな成長と幸せを願い、

日本では平安時代から行われ、今も伝わっている日本の伝統行事のひとつです。

ひな祭りの飾りにも、それぞれ意味があるそうです。

桃の花は、

厄払いや魔除け、長寿をもたらす力も持っているといわれており、
そのパワーの強さから、生命力の象徴ともいえる桃をひな祭りに飾る習慣が続いているようです。

白酒は、

古くは桃の花をとって酒に浸した桃花酒を飲む風習があり、
ももは百歳(ももとせ)に通じることから、邪気を払い長寿をもたらす力が宿っており、
病を取り除いて顔色を潤すと考えられていたそうです。

そして料理は、

ハマグリのお吸い物とちらし寿司が代表的ですが、ハマグリは自分の片割れでないと合わないことから女の子の貞節をあらわし、
ちらし寿司の具である海老は長生きを、蓮根は見通しがきく、豆は健康でまめに働けるなど、縁起のいい具が使われることが多く、
ひな祭りの定番メニューになっているようです。

我が家にも、2人の娘がいますがお雛様にように、おしとやかとは行きません。

ただ、子供の感性に驚くことがあります。

先日、大雪の後に子供たちに質問をしました。

『雪が解けたらなにになるか?』

息子と次女が同時に

息子は『水』と答えました。

ところが3歳の娘は『春になる』と答えたのです。
お前どこから教わったの?

と言いたくなるような答えでした。

今日も、お茶を入れた器の中に、照明の電球が写ったのを見て

『お茶の中にお月様』なんて言ってました。

その感覚をいつまでも持ち続けて欲しいと願うばかりです。

 

■今日の言葉 「ヘレン・ケラーが尊敬した 日本の偉人・塙保己一の生涯」

 

目も見えず、耳も聞こえず、話すこともできない。
絶望的な三重苦から道を拓いた奇跡の人、ヘレン・ケラー。
そのヘレン・ケラーが尊敬していたある日本人がいます。
塙保己一(はなわ・ほきいち)。
江戸時代を生きた盲目の大学者です。
その壮絶な努力の人生とはいかなるものか――。

 

 

 

塙保己一は延享3(1746)年、武蔵国児玉郡保木野(現・埼玉県本庄市)に生まれた。
生家は裕福な農家だったが、5歳の時、思いがけない病魔に襲われる。
目が次第に光を失っていったのだ。
母・きよは保己一を背負い、片道8キロの道を一日も欠かさず藤岡(現・群馬県藤岡市)の医師のもとに通い続けた。
なんとしても我が子の目を治したい一念だった。
しかし、保己一は7歳で完全に失明した。

さらに、12歳で最愛の母が亡くなってしまう。
保己一は杖を頼りに毎日墓地に行き、母の墓石に向かって泣き続けた。
涙の中で一つの決意が生まれた。
江戸に出て学問で身を立てよう。
保己一は耳にしたことはすべて記憶するほどの抜群の記憶力の持ち主だったのである。
保己一の情熱は父を動かした。
絹商人に手を引かれ、保己一は江戸に旅立つ。
15歳だった。
江戸時代、盲人の進む道は限られていた。

検校(けんぎょう)という役職者に率いられた盲人一座に入り、
按摩(あんま)や鍼灸(しんきゅう)の修業をする、琵琶や三味線の芸能に勤しむ、
あるいは座頭金という金貸しの知識を学ぶ、
などして世渡りの技能を身につけ、互いに助け合って生活していく仕組みになっていた。
選べる職業はそれだけだった。
保己一もまた雨富須賀一検校の盲人一座に入門した。
だが、保己一の望みは学問である。
悶々とした日々が続き、思い切って師匠の雨富検校に本心を明かす。
「私は学問がしたいのです」。
破門覚悟の告白だった。
保己一の幸運はこの雨富検校に出会ったことだった。
「人間、本心からやりたいことに 打ち込むのは結構なことだ」
と検校はいい、学問することを許されたのである。
保己一の目覚ましい研鑽が始まる。
目が見えない保己一は
誰かに本を読んでもらうしかない。
全身を耳にし、耳にしたことはすべて身につけていく。
盲目の身で学問に励む少年がいる、とたちまち江戸の町の評判になった。

塙保己一(はなわ・ほきいち)

 

 

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