皆さんいかがお過ごしですか。
先日、気配りについて会社で考える機会がありました。
自分への気配り
人への気配り
まずは、自分への気配りについて考えました。
皆が同じような意見だったのが、健康への気配りです。
体と心のバランスをとることでした。
その人それぞれ
無理をしないことをしない。
自分が一番楽しいことをする。
などもありました。
自分への気配りの中で特に印象に残ったのが
『あとみよそわか』
自分のしたことを振り返ること意味です。
『あとみよそわか』についてのお話
この言葉は、明治の文豪である幸田露伴(こうだ ろはん)とその娘である文(あや)のお話。
文は幼い頃に生母を亡くし、父露伴は後添えをむかえたが、継母は学はあるが、家事・躾けには無放任な人であった。
そのため父露伴が娘文に家事一般の躾けを教え込んだ。「あとみよそわか」とは、父娘が掃除の仕方の稽古をしていた時に
露伴の口から出た言葉である。掃除の勉強第一日目は、掃除道具を整える事から始まった。
曲がった箒の穂先を水につけて真っ直ぐにし、掃き目のいろはを習う。
はたきに到っては、一から道具を作ることから習う。
いわく、はたきの房は和紙の原稿用紙の反故で作る。短く軽く。
「弘法筆をえらばず」は、愚説であって「名工はその器(うつわ)をよくす」が確かなところだと習う。
はしご段は一段一段あがるものだから、二段も三段もまたぐことは無理と、その日の稽古は終了。
父に「ありがとうございました」とお辞儀をしてさがろうとすると「あとみよそわか」と声がかかる。
娘が振り返ると「女はごみっぽいもんだから、もういいと思ってからも、もう一度よく、呪文をとなえて見るんだ」と父は云った。
「あとみよそわか」の呪文の意味は、どうやら昔からある言葉で、「あとを見よ、そわか…」のそわかとは、梵語(仏教語)。
例えば「般若心経」の最後から二行目の「菩提薩婆訶(ぼうじそわか)」から来ているものだと云う。
ものが成る時(成就)、人の去り際(亡くなる時)、何かから境遇を脱する時、その際(きわ)を振り返り「あとみよそわか、あとみよそわか」と呪文に唱えて、
物事の成るを願う。成るか成らぬかの是非を心に留めるように、振り返れと云うことらしい。
人によって自分の気配りは違います。
自分への気配りの中に
『あとみよそわか』の言葉を入れた人の
相手への気配りとその人の品格が感じられました。
【今日の言葉】
『光ある世界』
辛いこと苦しいことも自分の心を磨く砥石なんだと思えば、
闇を転じて光ある世界に生きていくこともできる
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塩沼亮潤(慈眼寺住職)
3月『甲府論語塾』
平成30年3月10日(土)10:00~11:00
開催場所 リフォームのふるや 会議室
甲府市朝気1-2-66
参加費 1組500円
問合せ先 リフォームのふるや
電話 055-237-0704
平日 9:00~16:00 土・日・祝日は除く