『「あとみよそわか」(感じたこと) 古屋 英司 2018.3.4』    

皆さんいかがお過ごしですか。

先日、気配りについて会社で考える機会がありました。

自分への気配り

人への気配り

まずは、自分への気配りについて考えました。

皆が同じような意見だったのが、健康への気配りです。

体と心のバランスをとることでした。

その人それぞれ

無理をしないことをしない。

自分が一番楽しいことをする。

などもありました。

自分への気配りの中で特に印象に残ったのが

あとみよそわか

自分のしたことを振り返ること意味です。

あとみよそわか』についてのお話

この言葉は、明治の文豪である幸田露伴(こうだ ろはん)とその娘である文(あや)のお話。

文は幼い頃に生母を亡くし、父露伴は後添えをむかえたが、継母は学はあるが、家事・躾けには無放任な人であった。

そのため父露伴が娘文に家事一般の躾けを教え込んだ。「あとみよそわか」とは、父娘が掃除の仕方の稽古をしていた時に

露伴の口から出た言葉である。掃除の勉強第一日目は、掃除道具を整える事から始まった。

曲がった箒の穂先を水につけて真っ直ぐにし、掃き目のいろはを習う。

はたきに到っては、一から道具を作ることから習う。

いわく、はたきの房は和紙の原稿用紙の反故で作る。短く軽く。

「弘法筆をえらばず」は、愚説であって「名工はその器(うつわ)をよくす」が確かなところだと習う。

はしご段は一段一段あがるものだから、二段も三段もまたぐことは無理と、その日の稽古は終了。

 父に「ありがとうございました」とお辞儀をしてさがろうとすると「あとみよそわか」と声がかかる。

娘が振り返ると「女はごみっぽいもんだから、もういいと思ってからも、もう一度よく、呪文をとなえて見るんだ」と父は云った。

「あとみよそわか」の呪文の意味は、どうやら昔からある言葉で、「あとを見よ、そわか…」のそわかとは、梵語(仏教語)。

例えば「般若心経」の最後から二行目の「菩提薩婆訶(ぼうじそわか)」から来ているものだと云う。

ものが成る時(成就)、人の去り際(亡くなる時)、何かから境遇を脱する時、その際(きわ)を振り返り「あとみよそわか、あとみよそわか」と呪文に唱えて、

物事の成るを願う。成るか成らぬかの是非を心に留めるように、振り返れと云うことらしい。

人によって自分の気配りは違います。

自分への気配りの中に

あとみよそわか』の言葉を入れた人の

相手への気配りとその人の品格が感じられました。

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【今日の言葉】

『光ある世界』
辛いこと苦しいことも自分の心を磨く砥石なんだと思えば、
闇を転じて光ある世界に生きていくこともできる
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塩沼亮潤(慈眼寺住職)

 

3月『甲府論語塾』

平成30年3月10日(土)10:00~11:00

開催場所 リフォームのふるや 会議室

甲府市朝気1-2-66

参加費 1組500円

問合せ先 リフォームのふるや

電話 055-237-0704

平日 9:00~16:00 土・日・祝日は除く