『今日のはじまり (感じたこと)』 2014.11.23

今日は、勤労感謝の日です。

この日は、「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」趣旨で制定されました。

地区の育成会で子どもたちにも地区の清掃をするようにとゴミ袋が配られました。

裏のふれあい公園で、子どもたちと落ち葉を集めました。

とても沢山の落ち葉です。

子供たちも、落ち葉の多さに驚いていましたが

掃除をはじめて少したつと、集めることが楽しくなったのか

何かのスイッチがONになったかのように

無心に落ち葉を集めました。

掃除が終わり帰る時に

息子が

『ああ、さっぱりした。』

と一言

その通りだなと思った勤労感謝の日の朝の出来事でした。

 

1 無心で掃除をしてました。

 

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2 落ち葉が沢山集まりました。(地区の知り合いの方が写真を写してくれました。)

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■ 今日の言葉

『親父の言葉』

(いただいたメールより)

落語家・桂小金治さんが亡くなられました。そこで、生前にご登場いただいた際の記事をご紹介します。

当時の特集テーマは「人生を支えた言葉」でした。

* * *

落語の道に入ったのは、戦後間もなくの頃でした。

僕の家は空襲で焼けてしまったので、焼け野が原の中でトタンを拾い集めて畳三畳敷きの小さな小屋をこしらえました。

お袋と妹を疎開先に残し、親父と僕はここで雨露をしのいだんです。

親父は腕の良い職人だから、知っている仲間の店を手伝って給金をもらう。

ところが、僕は金を稼ごうにも手に職がない。

そんな時、たまたま焼け残った親父の着物が三枚あることを知って、

「着物を着てできる商売はないか」と考えたんです。

ふと思い出したのが親父がいつも連れていってくれていた寄席でした。

着物一つでできる仕事といえば噺家、本当に単純な発想からのスタートでした。

親父に相談すると「自分の好きな道を行け。ただしいつも一所懸命やれ」とそれだけ。

それで、さっそく「弟子にしてください」と新宿末広亭の玄関をくぐったんですが、

何しろ戦後の物のない時代、噺家に弟子を取る余裕などありません。

見習いのような下働きを許されて、楽屋で働いているうちに関西出身の桂小文治師匠から声をかけていただき、

正式に弟子入りを許されたんです。これが僕の幸運の始まりでした。

よく人様から「噺家の修業は大変だったんでしょ」などと聞かれることがありますが、

修業が大変なのは当たり前。弱音を吐いたことも辛いと思ったこともありません。

いま思うと僕が落語界に入れたのも、親父の言葉を忠実に守っていたからです。

一つには「何でもいいと思ったらすぐにやれ」という言葉を信じて落語界に飛び込んだこと、

そして見習い時代には、魚屋の手伝いで身につけた「自分の目で見て仕事を探せ」という教えを実践して楽屋をかけずり回ったことです。

そういう働きぶりが小文治師匠の目に留まり、「おまえ、よう働くやっちゃな」

と気に入っていただいたわけですから、親父のおかげでいまの僕があると言っていいでしょう。
……この記事は『致知』2003年10月号に掲載されたものです。

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