『最もしてはいけないこと (感じたこと)』  2014.9.28

さて、今日はどのようなことを書こうかと考えていました。

そんな時

「最もしてはいけないこと」

という件名のメールが眼に留まり開いて見ました。

次のようなことが書かれいました。

責めるな

責めるな

人を責めるのが

一番いかんと

朝夕

わたしに告げる

くちなしの花
『坂村真民一日一言』(坂村真民・著)
「あちゃ」と思いました。

さっきまで、子供たちと一緒に家で片付けをしていました。

三者三様とは、まさにこのことです。

要領がいい次女は、少し遊びながらもそつなく掃除をしましたが

長女と長男は、掃除をしながらもめ事が多いようでなかなか進みません。

そんな時、親としてありがちな一番自分の意に沿う子どもを褒めて

他の子供にも、同じようにさせようとしましたが思い通りにはいきませんでした。

そんな今日一日のしめくくりに、先ほどのメール

なんだか、自分への戒めの言葉のようでした。

 

 

■今日の言葉  『子育ての秘訣とは』

「之を愛しては、能く労すること勿からんや。
焉に忠にしては、能く誨うること勿からんや」

私がこの章句を意識するようになったのは、
論語塾を始めて数年経ってからのことです。
当初は子供たちにどうやって分かりやすく伝えるか、
そのことばかりに腐心し、
目の前の子供たちに教えることで精いっぱいでした。
ただ、何年も続けていく中で、
来てくれる子供たちに愛情を抱き、
一人ひとりの成長や将来のことにまで
思いを寄せられるようになったからでしょう。
ある時、『論語』を読み返すと、
この章句が沁み入るように心に響いてきたのです。
「之(これ)を愛しては、
能(よ)く労すること勿(な)からんや。
焉(これ)に忠にしては、
能く誨(おし)うること勿からんや」
(人を愛したならばどうして
いたわり励まさないことがあろうか。
人に対してまごころがあるならば
どうして教え導かないことがあろうか)
意味だけを取ると「なるほど、そのとおり」と
容易に納得することができます。
しかし、そういう字面だけの理解ではなく、
身を以て実感できた時、この章句が俄然好きになり、
以来、論語塾でよくお話しするようになりました。
この章句は、弟子に対して深い愛情を持っていた孔子の
教育者としての本音がよく表れている言葉だと思います。
ですから、親御さんや学校の先生方が
一緒に参加するクラスでは、
子供たち以上に大人の方たちが
「教える側の気持ちが全部こもっている」
「胸がいっぱいになります」
と、共感されることがたびたびあります。
ところが、当の子供たちは愛される側であって、
まだ章句の本当の意味を実感できる立場にはありません。
そこで子供たちにお話しする時は、
逆の見方から説明するように心掛けています。
例えば、次の質問をします。
「その人が本当に自分のことを思って
言ってくれているのかどうか分かるでしょ?」
すると、子供たちは「分かる、分かる」と口を揃えます。
「じゃあ、何とも思っていない人のことを
わざわざ怒ったり、注意したりすると思う?」
と聞くと、
「どうでもいい人には怒ったりしない」
と答えます。
その上で私はこのようにお伝えします。
「ご両親や学校の先生から
『これはやっちゃダメ』
『ああしなさい、こうしなさい』
と言われた時に、うるさいなって
思うことがあるかもしれません。

でも、それは愛情があるから、
真剣に思っているから言うんですよ」
自分がどれだけ愛されているかが分かれば、
子供たちも助言や忠告に対して
素直に耳を傾けることができるのではないでしょうか。
安岡定子(こども論語塾講師)

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