『身についた習慣(感じた事)』(2014.5.11)

今日は、会社で片付けをしました。

日頃、作業に追われ片付けをする時間がありません。

ただの、いい訳です。

子どもたちは、行事があり出かけていないので

この機会に、少しでも整理をしようと考えました。

実は、私は整理整頓が苦手です。

リフォームなど仕事でお邪魔するお宅で、きれいに片付いていのを見ると

自分も、このように整理整頓が出来ればいいのにといつも思います。

お客様とお話しする機会に、どうしてそんなにきれいに片付けることが出来るかを伺います。

色々なお客様に話を聞きました。

その結果私なりの結論に達しました。

まず一番は、片付ける習慣が、身についていること。

ちょっとした時間の合い間にも、掃除することが習慣として身についています。

次に、色々な工夫をされていること。

時間の使い方や掃除の仕方でも、考えてされていることです。

方法は、色々ですがそのことにしっかりと意識が向いていることです。

また、育った環境でそのような習慣が身についたことも知りました。

 

今までも、色々な話をして教えていただいていましたが

わかったつもりにだけなって、実践をしていなかったことに気がつきました。

とにかく、まず行ってみようと思い作業に取りかかりました。

私のように、子どもにはなって欲しくないので、まず親自身が変わろうと思います。

なかなか、今まで身についた習慣を変えることはできませんが、

少しずつでも、変えて行きたいと思っています。

お恥ずかしい話ですが・・・。

 

夕方は、知り合いの方のお通夜に伺いました。

仕事でも、お世話になっていました。

車を、運転しながら生前のその方のことを思い浮かべました。

どんな時にも、変わることのない落ち着いた姿勢が印象的でした。

そんなことを思い出しながら、いつも平常心を失いがちな私は

その方を少しでも見習いたいと思いました。

 

■今日の言葉 「“おせっかい”に生きる」

私のおせっかいの原点には、 子供時代の辛い経験がありました。

「何で戦死してしまったの。手がなくても足がなくても、  生きて帰ってきてほしかった!」

そう泣き叫ぶ母のそばで、10歳の私は、姉と妹とともに、 一緒に泣いていました。

良家に生まれた母でしたが、幼くして両親を、大東亜戦争で夫を亡くしました。

戦後始めた事業もほどなく倒産。

手のひらを返したような世間の冷たさに晒され、押しかける債権者に家財道具一切を持ち去られました。

母の指から父の形見の真珠の指輪を強引にもぎ取る姿がいまも目に焼き付いています。

母はこの時、一家心中の瀬戸際にまで追い込まれていたのでしょう。

しかし、それを子供心に感じた時、ガタッという物音が玄関から聞こえたかと思うと、

ガラス戸に一枚の紙切れが挟まっていました。

そこにはこう書かれていたのです。

「あなたには3つの太陽(子供)があるじゃありませんか。

今は雲の中に隠れていても、必ず光り輝く時がくるでしょう。

それまでどうかくじけないでがんばって生きて下さい」

 

その手紙を読み聞かせながら、母はハッと気がついて、

ごめんね、ごめんねと謝って抱きしめてくれたのです。

おそらく私たちの窮状を見かねた近所の方だったのでしょう。

人間のちょっとした優しさに、 人の命を救うほどの力がある――。

この時の強烈な印象、そして一家を養うために身を粉にして働く母の姿が、

私のおせっかいの原点となったのです。

 

しかし、苦しい生活は終わることなく、

このままでは学校に通わせることもできないと、 母は私を知人の家に預けることを決断。

そして送り出された私を待ち受けていたのが壮絶な“いじめ”でした。

空腹を我慢し、冬は霜焼けで10本の指がただれていても雑巾がけ。 手をついて謝っても、これでもかと足で頭を踏みつけられる……。

あまりの仕打ちにトイレで泣き明かすこともしばしばでした。

その小窓から見えた空と、その中を自由に飛び交う鳥たちの姿、

そして母に会いたいという哀しい思いは、いまでも忘れることができません。

「自由に大空を飛ぶ鳥のように世の中を自由に、  自らの力で生きていこう。  そして、人間として、わけ隔てない生き方をしよう」

と14歳の時に誓ったのでした。

いま思い返すと、その後社会に出てからの私は、子供時代の辛い体験と、

母や見知らぬ人から受けた温かい愛情に 突き動かされるように幸せを追い求め、

無我夢中でおせっかいをばら撒いてきたような気がします。

「天知る、地知る、我知る。  どんなに貧しくなろうとも、  心まで貧しくなってはいけません」

「あなたには、あなたのいっぱい、  いいところがあるじゃない」

苦しい生活の中で母が繰り返し唱えていた言葉です。

母はそのとおり、本当に思いやりに溢れた人でした。

無縁社会という言葉も聞かれますが、どんなに忙しくとも、

人を想う心さえあれば、 たった一言の言葉、たった一枚の紙切れでも、人を救うことができるのです。

 

高橋恵(サニーサイドアップ創業者)

※『致知』2014年6月号       連載「致知随想」より

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