『初めてのお使い(豪雪の後)』(2014.2.16)

 

今朝も、朝から雪かきです。

午前10時前に妻から頼まれ、近くのオギノに買い出しに行ってきました。

おそらく、品物がないのではと思いつつ開店の5分前について店の前に並び開店と同時に店内に入ると

意外と野菜など色々なものが陳列してありました。

おかげさまで希望した商品が手に入りました。

うちでは、子供が3人いるので食料を必要な分は確保しないといけません。

大人だけなら、何とかなりますが。

帰ると妻が店の前の雪かきを終わらせてくれていました。

今度は、オムツとおしり拭きがなくなったので、近くのサンドラックまで買い物をたのまれました。

オムツは、次女3歳の分です。

なかなかオムツが取れないままです。

昨日、オムツがなくなったのでこれをいい機会にパンツにしようと本人に

『もう、オムツがなくなったのでオシコになったら教えて』と言いました。

ところが『オムツがいいい』と本人がいいます。

パンツをはかせて1日様子を見ましたが、まったく教える気配がありませんでした。

この状況で洗濯物が増えるのは困るので、親の方が根負けをして、オムツを買いに行くことになりました。

サンドラックはオギノほど混んでなく、短時間で買い物ができました。

東北の震災の時の現地の人のことを考えれば、買い出しなどは少し大げさな気もしました。

天候だけの問題なのでしばらくすれば、きっと普通の生活に戻れるだろうと考えています。

車中や公民館に避難した人もおられたようで、自宅で、食事もとれ、休む所もあるのは幸せなことだと思いました。

ただ、雪が解けて落雪や転倒などでの怪我には、注意したいものです。

 

 

1  オギノに買出し

 

 

 

2 裏の公園の入り口は雪が一杯でした。

 

 

『今日届いたメールからコピーしました。よかったら、読んでください。』

幼い頃、先天性骨形成不全症を発症し、激痛に耐え寝たきりの日々を送られていた岩本さんが

自ら発心し自分の足で歩けるようになるまでの壮絶なご体験をご紹介します

* * *

私はお父さんとお母さんがいなくなったら生きていけない。

しかし、いずれは逝ってしまう。だから、とにかく自分の足で歩けるようになりたい。

これが私の人生の最初の目標でした。

まずは起きて座る練習です。ずっと寝ていたものだから、少し起きるだけでだるくなり、すぐ横になる。

その繰り返しです。そうして座れるようになると、今度は足にマンガ本を括りつけて筋トレをしました。

十八歳の時に熊本市内にある訓練所に行くことにしました。

訓練所はリハビリを兼ねて職業訓練を行うのですが、私は「開所以来、最重度の子が来た」と言われたそうです。

渡された松葉杖をついて壁にもたれかかってみましたが、立つだけで足がブルブル。

階段の上り下りや直線歩行、アキレス腱の伸ばしなどを行いましたが、

何年も使っていない筋肉ですから悲鳴をあげるくらい痛いんですね。

また、無理をすると骨折するので、そのギリギリでやらなければならない。

頑張ると決めて入ったものの、体が気持ちについていかないんです。

象の足のようにパンパンに腫れるし、リハビリの時間が近づくと熱が出たり吐き気が出たり……。

初めて親元を離れたこともあって、想像以上に辛い毎日でした。

私の障碍はひどかったので、どのお医者さんも「歩けるようになる」とは言ってくれませんでした。

「歩けたらいいね」と。

しかし、私は「歩けるようになったらいいな」では、歩けるようにならないと感じていました。

「歩く。私は絶対に歩けるようになるに決まっているじゃないか」

そうやって自分自身を信じ、落ち込んだ時は鼓舞しながら、何度も挑戦しました。

普通は一年で訓練所を出るのですが、もう一年残って二年で卒業しました。

その頃には杖を使ってどうにか歩けるようになりました。

 

■今日の言葉 『らしく生きる』

「身障者らしく」生きるのではなく、

「自分らしく」生きると決めた時、運命は変わる

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岩本良子(アイ インターナショナル社長)

 

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