今日は、私のところに届くメールをご紹介します。
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「誇れることがあるとすると、4,000のヒットを打つには、 8,000回以上は悔しい思いをしてきている。
それと常に、自分なりに向き合ってきたことの事実はあるので、
誇れるとしたらそこじゃないか」
4,000本安打という大記録達成の記者会見でイチロー選手が語った言葉です。
他にも
「小さいことを積み上げることが、
とんでもないところへ行くただ一つの道」
という、自らの体験の中から生み出されたイチローの言葉は、
22年のプロ生活の中で、常に人知れぬ努力を重ね、
歴代3人目という偉業を果たしたイチロー選手からの贈り物のように感じます。
日米通算4,000本安打という記録も単なる通過点に過ぎず、
新たな夢と挑戦は、私たちに大きな夢と希望と勇気を与えてくれました。
以前イチロー選手の母校、愛知工業大学名電高校で
当時監督をされていた中村豪氏が、当時のイチロー選手を語っている記事がありましたので
ご紹介させていただきます。
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愛知工業大学名電高校、豊田大谷高校で野球部監督を務めた31年間、
部員たちに口酸っぱく言ってきた言葉がある。
「やらされている百発より、やる気の一発――」
いくら指導者が熱を入れても、選手側が「やらされている」という意識でダラダラ練習をしていたのでは何の進歩もない。
やる気の一発は、やらされてすることの百発にも勝る。
そのことを誰に言われずとも実践し、自らの道を開拓していったのが高校時代のイチローだった。
彼と初めて出会ったのは昭和63年、私が46歳の時である。
「監督さん、すげーのがおるぞ」
というОBからの紹介を受けた私の元へ、父親とやってきたその若者は、
170センチ、55キロというヒョロヒョロの体格をしていた。
こんな体で厳しい練習についてこられるのか、と感じたのが第一印象だった。
私の顔を真剣に見つめながら
「目標は甲子園出場ではありません。僕をプロ野球選手にしてください」
と言う彼に、こちらも「任せておけ」とはったりを噛ました。
700人以上いる教え子のうち、14人がプロ入りを果たしたが、 自分からそう訴えてきたのは彼一人だけだった。
愛知には三強といわれる野球伝統校があるが、彼が選んだのは当時、新興チームだった我々の愛知名電高である。
監督の私が型にはめない指導をすること。
プロ入りした選手の数が全国随一だったこと。
実家とグラウンドの距離が近かったこと。
3年間寮生活をすることで、自立心を養い、縦社会の厳しさを学ぶこと。
すべてあの父子の、熟考を重ねた末の選択であった気がする。
鳴り物入りで入部したイチローは、 新人離れしたミートの巧さ、スイングの鋭さを見せた。
走らせても速く、投げては130キロ近い球を放る。
1年秋にはレギュラーの座を獲得し、2年後にはどんな選手になるだろう、と期待を抱かせた。
非凡な野球センスを持っていたイチローだが、練習は皆と同じメニューをこなしていた。
別段、他の選手に比べて熱心に打ち込んでいる様子もなく、これが天性のセンスというものか、と私は考えていた。
そんなある日、グラウンドの片隅に幽霊が出るとの噂が流れた。
深夜になり私が恐る恐る足を運んでみると、暗がりの中で黙々と素振りに励むイチローの姿があった。
結局、人にやらされてすることを好まず、 自らが求めて行動する、という意識が抜群に強かったのだろう。
自分自身との日々の戦いの中で、本人が掴んでいくより他、仕様がないのである。
人知れず重ね続けた努力の甲斐あって、3年生になったイチローは7割という驚異的な打率を誇る打者に成長し、「センター前ヒットならいつだって打ちますよ」と豪語していた。
プロ入り後の活躍は皆さんもご承知のとおりだが、入団1年目に彼は
首脳陣からバッティングフォームを変えるようにと指示を受けたらしい。
「フォームを変えるか、そのまま二軍へ落ちるか」
と厳しい選択を迫られた彼は、フォームの修正を拒否し、自ら二軍落ちの道を選ぶ。
そしてその苦境の中からあの振り子打法を完成させるのである。
その後も評論家からは「あんなフォームで打てる訳がない」などと酷評されたが、結局彼は自分の信念を押し通し、球界に数々の金字塔を打ち立てた。
その根っこには、人並み外れた彼の頑固さと、野球に対する一徹な姿勢があるのだと思う。
今年、イチローは大リーグで日米通算3,000本安打という偉業を達成したが、これも彼にとっては単なる通過点にしかすぎないのだと思う。
いまや世界のスーパースターになったにも関わらず、彼は毎年正月になると私の元を訪ねてくる。
その姿勢はどこまでも謙虚で少しも驕るところがない。
私がイチローを育てたと言われることがあるが、私は彼のことをただ見守ったにすぎない。
私のほうが逆に、彼に教えられたことばかりである。
中村 豪 氏
■今日の言葉『心にとめる4つの信条』
一、微笑を絶やさない
一、人の話を素直に聞こう
一、親切にしよう
一、絶対に怒らない
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小澤道雄(曹洞宗法永寺住職/足なし禅師といわれた)
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