昨日、毎月送られてくる冊子のあるページを見て衝撃を受けました。
何か、自分のことを言われたようでした。
少なくとも日本は平和で、平和ボケを私もしているのかもしれません。
■今日の言葉
四肢切断・・・わずか3歳の時、突発性脱疽という病魔に侵され、
両腕を肘の関節から、両足を膝の関節から切り落とすという、
業苦の人生を生き抜いた中村久子は、妻として、母として二人の子供を育て上げ、その72年の生涯を終えますが、その凄まじいまでの生き方、考え方は、多くの人々に生きる希望と勇気を与えました。
ある日事故で両手を無くした青年が、久子のもとを訪れます。
手を使えない体で食事をする姿を 「犬喰いだ」 と軽蔑された悔しさを、
久子が普通の人のようにお茶碗と箸で食事をしているということを聞いてのことでした。
拷問さながらの久子の指導に
「それほどまでにしなくても・・・」と家族が手を出そうとすると
「手のあるあなたがたは黙っていなさい。
手のない人間が、人並みにご飯を食べようと努力しているのです。
そんなつまらん同情をしていたら、この人はいつ、人並みにご飯が食べられるようになるのですか。
薄っぺらい同情は仇にこそなれ、何の役にもたたないのです。」
努力の末、この青年は見事に一人でご飯も味噌汁もたべられるようになり
喜び勇んで故郷に帰っていったそうです。
そして久子は、「障害者は人の10倍は努力をせねばなりません。努力の中でこそ、誇りが生まれてくるのです。
身体障害でどうにもならない人以外は、世間様に甘えてはいけません。
チエのある人はチエで、働ける人は動ける体で、自分のパンは自分の力で稼ぎ出してください。そこに最高の喜びが生まれてきます」
と話されています。
四肢切断という絶望的な中からでも、自らの生きる道を切り拓き、
努力を怠らなかった中村久子の次女富子さんは、
「後年母は仏教に触れ、『歎異抄』を読むことによって親鸞上人にひかれ、
沢山の善知識の方々によって、教え導いていただいたお蔭さまで、
ここまで連れてきて頂きましたが、ほんとうの善知識は、私の体、この 『手足のないことが善知識』 だったのです。
悩み、苦しみ、悲しみの宿業を通して、よろこびや感謝にかえさせていただくことが正法でした。
と、手足のないことが善知識だったと得心できた時、母は自分が手足が無くとも独りでやってきたという慢心がなくなり、心から祖母に対する感謝の念が湧いたといいます。」
と常に努力を怠らず、前向きだった母、久子さんの姿を語られています。
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