昨日のブログに「色々なことに、取り掛かるときの方向定めが重要だなと感じました。」と書きましたが、今日ある雑誌を読んでいるとその中にあったのが以下の通りです。
立派な人物に成るには相応の努力が必要ですが、努力の方向性が間違っていれば、その目的を達成することはできません。
始めのところで、ほんのわずかでも違いがあれば、千里先に行けば大きな隔たりを持つでしょう。
始めに正しい学問を目指さなければなりません。
何をもって正しい学問のバロメーターとするかは難しいところですが、間違いがないのは、何千年も風雪に耐え読み継がれてきた古典に学ぶことです。
と書かれていました。
これは私の考えですが、私たちが販売している商品でも色々なものがありますが、世の中に必要とされるものだけが残ると思います。
ところで誤解がないように書きますが、私が考える「立派な人物に成る」とは、
「どんなことがあっても生き抜く力があり、やさしい思いやりのある人」です。
なかなか言うほど簡単ではないと思いますが、それを目指すのは勝手なので・・・。
この雑誌を読んで、土曜日にこどもたちと行った「やまなしこども論語塾」のことを思い出しました。
毎月第2土曜日の午後3時からです。
3歳くらいから小学校高学年の子供までが来ています。
先生方が色々なく工夫をして論語や古典、歌などを教えてくれます。
1時間くらいの短い時間ですが親が聞いてもとても勉強になります。
早いもので長女が通い始めて3年目に入りました。
3歳だった長女は小学校1年生になり、最近は4歳の長男も常連さんになりました。
先日は、論語でカルタをして子供たちも大喜びでした。
カルタとり、みんな真剣です
来月は3月9日 午後3時より 甲府の善光寺でやってます。
毎回、小さな手作りの看板が出ていますので、興味のある方は一度来て見てください。楽しいですよ。
■今日の言葉
躾(しつけ)という字はまことにうまくできている。
身体を美しくする、体をきれいにする、
人間の在り方・生き方・動き方を美しくするという、これは躾だ。
美しくするということは、つまり良くするということである。
食事でも作法というものは、自然なもので非常に美しい。
箸(はし)やお椀(わん)の蓋(ふた)の取り方でも、
作法通りすれば実に合理的である。
つまり、道徳とか躾というものは、人間の生活、人間の在り様、
人間の動き方というものをいかに自然にするか、
いかに真実にするかということである。
人間が獣でなくて人間らしく生きる道が道徳で、
それは極めて自然であって、理屈でも手投でもなんでもない。
真実、自然のことなのであります。
『安岡正篤活学一日一言』より(致知出版社刊)
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