古屋商店のフルフルです。
皆さんは、中村久子さんをご存知ですか?
これは彼女の話です。
「その少女の足に突然の激痛が走ったのは3歳の冬である。 病院での診断は突発性脱疽。 肉が焼け骨が腐る難病で、切断しないと命が危ないという。 診断通りだった。 それから間もなく、少女の左手が5本の指をつけたまま、手首からポロッともげ落ちた。 両親は手術を決意する。 少女は両腕を肘の関節から、両足を膝の関節から切り落とされた。 少女は達磨娘と言われるようになった。」
1937年4月に来日したヘレン・ケラーが久子と対面後、袖の下の短い腕と膝から下が義足の中村久子の体に触れた後、泣きじゃくりながら抱きかかえ、 「私より不幸で、私より偉大な人」 と言われたそうです。
四肢切断という中村久子の過酷な人生の中では、 「亡くなった両親を恨み、両手両足のないわが身を呪ってきた。 親の命のあるうちに、なぜ自分は死ななかったのか。 神仏はなぜ手足のない私をこの世に送り出したのか。 私のような女になぜ二人も子供を産ませたのか。 神仏はどこまで私を痛めつけるのか」 と、両親と神仏を呪っていましたが、ある人との出会いの中で、「生まれて、生きて、生かされている」という感謝の念と天の教えに気づくという、深い境地に至ります。
そして晩年には、手足のない体を「仏さまから賜った体」」と受け止め、 「両手両足を切り落とされたこの体こそが、人間としてどう生きるかを教えてくれた 最高最大の先生であった」と、見事な人生を終えています。
『もし、私が彼女の立場だったらそうかと考えたとき・・・。』 致知出版社
「中村久子先生の一生」の著者:黒瀬昇次郎氏は、 「壮烈で、凄惨な生きかたは、大人や、経営者、教育者向けのもので、 中学生に話しても、精神的領域を了解してもらうことは、到底不可能だろうと 講演依頼も固辞していましたが、たっての要請が続いていたので、 断りきれずに、自信のないまま、不安を抱いて登壇しました。 だが、私の不安は一掃された。 全校生徒に与えたインパクトは想像以上であった」神戸市垂水中学校で講演を終えた後に、多感な年ごろの子供たちから、おびただしい数の感想文が届いたそうです。
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<今日の言葉>
人生に絶望なし。いかなる人生にも決して絶望はない
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中村久子(四肢切断というハンデを生き抜いた女性)
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